温泉は明治初年、地元の漁師さんにより発見されましたが、湧き出ていたのは海中の海の底からでした。そのため当時では利用の術もなく放置されていました。
大正9年(1920年)有本松太郎(ありもとまつたろう)氏により、不毛の海浜の地を拓いて一大温泉郷を開発し、地方発展を図るという遠大な構想の下に、
一、 | 温泉の開発と集中配湯 |
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二、 | 広大な都市計画のための、一帯の土地買収と温泉都市の構築 |
三、 | 当時、町であった米子市街からの交通計画 |
と、今からみても非常に優れたプランのもとに、弊社皆生温泉土地株式会社(昭和37年皆生温泉観光株式会社へ社名変更)を設立し、温泉郷が街づくられたのが皆生温泉の始まりです。
私たちは資源を守り、安定した温泉供給をこれからも続けてまいります。
地域の大切な温泉資源を
環境に配慮したエネルギーとして活用し、
地域の明るく健康な未来を創ります。
商号 | 皆生温泉観光株式会社 |
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所在地 | 鳥取県米子市皆生温泉1丁目18番1号 |
創業 | 1920年 |
事業内容 |
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資本金 | 2,156万円 |
従業員数 | 58名(2013年4月1日現在) |
代表者 | 代表取締役 坂内 和孝 |
1920年(大正9年) | 「海中調査と皆生温泉街の区画整理事業を開始」 有本松太郎氏が泉源の海中調査と、海岸砂地を一大温泉街へ開発する事業を開始。 |
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1921年(大正10年) | 「皆生温泉土地株式会社」設立 5月28日、会社の設立総会が開催され、社長に有本松太郎氏が就任。 11月5日、第一号源泉竣工。 |
1922年(大正11年) | 「温泉配給、土地賃貸営業開始、及び自動車運輸開始」 7月1日、旅館への温泉供給を正式に契約。同日、米子駅から車尾経由で皆生温泉までの乗合自動車営業を開始。 (翌年、営業権を山陰タクシーに売却) |
1923年(大正12年) | 「公園温泉開業」 5月1日、公衆浴場の営業を開始(入浴料は大人5銭)。 |
1924年(大正13年) | 「皆生温泉第一期工事落成」 2階建ての温泉配給タンクが完工し、同時に送湯管幹線を温泉街に敷設。 10月4~6日、第一期工事落成式および祝賀会。 |
1936年(昭和11年) | 「温泉クラブ開業」 5月28日、大浴場・家族湯、食堂・売店、集会場・娯楽場、貸別荘を備えた“温泉クラブ”開業。(入浴料は大人10銭)また、創業以来初めて24時間配湯を実施。 |
1947年(昭和22年) | 「直営公衆浴場開業」 温泉経営の使命から、新たに公衆浴場を建設(入浴料大人3円)。 |
1959年(昭和34年) | 「皆生温泉ヘルスランド開館」 4月1日、鉄筋コンクリート3階建ての、当時の皆生温泉では初めてのビル建築 として開館。入湯料は大人100円。 |
1962年(昭和37年) | 「社名変更」 5月、会社業務の実態が、従来の土地市街地経営から観光施設経営へ、その比重が移行したため“皆生温泉観光株式会社”へ社名変更。 |
1963年(昭和38年) | 「温泉集中コントロール装置完成」 温泉源保護のため、各所の泉源を中央で合理的にコントロールする泉源監視装置を設置。これにより全泉源の温泉汲み上げ状況を瞬時に把握し、地下の泉源の状況も把握が可能になった。 |
1964年(昭和39年) | 「四条売店開業」 皆生温泉のメイン通りである四条通りに、温泉街の賑わいを増すためと土産品購入促進を目的に土産店を開店。 |
1972年(昭和47年) | 「皆生温泉開発五十周年記念祭」 温泉街の開発に着手して満51年となり、先人の偉業を讃えるために開催。 |
2000年(平成12年) | 「おーゆ・ランド/ホテル開業」 7月5日、現在地に“おーゆ・ランド/ホテル”を開業し、事務所も移転。 |
皆生を築き、歩んだ歴史。
私たちには成すべき使命があります。